「共用品」「共用サービス」は、経済産業省も認める公用語。実はバリアフリーやユニバーサルデザインなどの言葉が、日本に持ち込まれる前から使われている。NPO法人共用品研究会関西は、その「共用品」や「共用サービス」の普及に向けた活動を行っている。目指すのは、バリアフリーが当たり前となっている社会創りだ。
「共用品を啓発する時代はもう終わり。これからは具体的な活動を支援することが大切だと考えています」 中島さんが事務局長を務める共用品研究会関西は、1994年に活動を始めた。それから、すでに16年の歳月が経っている。 「そもそも共用品とは、障がいのある方や高齢者と健常者が、同じように使える、つまり共用できる商品を示す言葉です。ユニバーサルデザインとほぼ同じ考え方を表しているわけです」 補足するなら、共用品はできあがった品物のことであり、ユニバーサルデザインは共用品を開発する行為と考えれば、わかりやすいだろう。 「共用品という言葉が、使われ始めたのは90年代初めのこと。当時はまだ、ユニバーサルデザインやバリアフリーなどの言葉は、日本ではほとんど使われていませんでした」 障がいに対する考え方や対処の仕方について、日本は遅れていると思われがちだ。しかし、決してそんなことはない。ユニバーサルデザインという言葉や、その言葉が示す考え方が持ち込まれる前に、日本にはすでに共用品が具体的な商品として存在していた。 「おもちゃ会社のトミーが、障がいを持っている子どもたちのためのおもちゃを作ったのが、最初ではないでしょうか。トミーでの開発責任者だった星川安之さんが、日本インダストリアルデザイナー協会で理事長を務めていた鴨志田厚子さんらと、E&Cプロジェクトを立ち上げました。これが1991年のことで、プロジェクトの目的は障害のある人でも使える、使いやすい商品、つまり共用品の開発です」 大手企業が多数参加したプロジェクトでは、ボランティアベースの活動が進められた。そこに松下電器の東京支社でデザイナーを務めていた中島さんも参加する。 「たくさんグループが作られ、それぞれがテーマを決めて勉強会をしていました。私は電気製品のグループでスイッチの改良を研究していました。目の不自由な人の実態を訪問調査して、レポートを書いている調査グループもありましたね。そうした活動の集大成を93年に発表したところ、マスコミに大きく取り上げられ、驚くほどの反響があったのです」 日本での、実質的な共用品元年といえるのかもしれない。中島さんが所属したグループの研究成果は家電製品協会に送られ、各企業で標準化が促されたりもした。やがて中島さんは大阪本社に呼び戻される。 「東京のメンバーに関西でも活動を続けたいと訴えたところ、今のNPO法人の前身となるE&Cプロジェクト関西を立ち上げることができました。私が運営リーダーを任せられて、東京でやっていたのと同じような活動を始めたのです」 その活動内容が、ここに来て変わってきているという。 「共用品はもとより、ユニバーサルデザインやバリアフリーといった考え方自体は、ほぼ普及したと言えるでしょう。これから求められるのは、そうした考え方を実現していくための具体的な方法論です」 新たな活動の一つとして、中島さんたちがいま力を入れているのが、子どもたちへの教育支援だ。 「ユニバーサルデザインを総合学習で教えるためのカリキュラム作りに取り組んでいます。先生たちへの支援活動ですね」 大阪府下の中学1年生を対象に、6週間にわたって総合学習の時間を実際に担当。ビデオを見せて講演を行い、生徒たちに道具を作らせて弱視者を疑似体験させたり、障がい者の体験談を聞かせてみたりと盛りだくさんな内容だ。 「みんな違って、みんないいをテーマに、子どもたちに共用の考え方を伝えています。障がいのあるクラスメートがいれば、みんなで受け入れるためにはどうしたらいいか。そんなことを考えるきっかけ作りでもあります」 企業支援も、より具体的な活動へと進化している。 「障がいのある人をモニターとして、企業に派遣しています。企業がユニバーサルデザインに基づいた製品を開発する過程で、試作品を障がいのある人に実際に使ってもらい、使い心地を試すのです」 モニタリングにはスタッフが付き添い、障がい者をサポートしている。共用品研究会関西は、活動歴が長いだけに、モニターとしてさまざまな障がいを持っている人を揃えている。同時に企業サイドの事情も熟知しているから、効率的なモニタリングをサポートできる。 「時には、こちらから障がい者の方と一緒に企業のショールームに出向き、その場でさまざまな意見を伝えることもあります」 バリアフリーが実現された社会を作るための具体的な支援活動、これが共用品研究会関西の現在のテーマとなっているのだ。
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NPO法人 共用品研究会関西 |
「町の調査もよくやっています。障がいのある方と一緒にさまざまな場所を歩いて、いろいろ調べているわけです」 といえば、ついあら探しを思い浮かべがちだが、中島さんたちのスタンスはまったく逆だ。 「もちろん、障がい者にとってのバリアを報告し、改善要望を出すことも必要です。しかし、我々は、バリアフリーが実現されている場所、施設などを探して紹介することに専念しています」 啓発から、具体的な支援へと完全に軸足を移しているからこその視点である。最近の事例なら、今年開通した近鉄電車・難波駅から阪神電鉄への延伸部分や、京阪電鉄中之島新線の駅などをくまなくチェックしたという。 「新しい施設は、ほぼ間違いなくバリアフリー化されています。しかも最新の考え方に基づいて、斬新な設備が採用されている場合が多々あります。今後のお手本として、うってつけですね」 要はお手本探しなのだ。関西にある博物館や美術館などの文教施設での良いところ探しはもとより、時にはJリーグが開催される神戸ののサッカー場まで、JRと阪急、阪神を使って足を運んだ比較調査なども手がけている。 「どうせなら調査も楽しくやった方が良いでしょう。欠点探しは、やっていて気が滅入ることがありますが、良いところ探しは、その逆。スタッフはもとより障がい者の方も、気持ちが明るくポジティブになります」 調査結果は小冊子にまとめられ、バリアフリー関連の展示会などで販売される。共用品研究関西の人気商品である。 「障がいを持っている人ほど、細かな改善点も見逃しません。報告書は、どこが良いのかを、障がい者の視点から書くよう心がけています」 共用品と漢字で書くと身構えてしまうかもしれないが、実は、ちょっとした心がけ次第で、障がい者に使いやすくなるケースはいくらでもある。 「コンビニなども、ローソンが淡路島に高齢者向けの店を作っています。そこを見学させてもらい、共用品の視点でコンビニはどうあるべきかを考えチラシにまとめました。これを読んでもらえば、障がい者にやさしいお店作りの具体的な方法がわかるようになっています」 チラシを参考に改善に取り組めば、多くの店がよりバリアフリーな環境に近づくはずだ。チラシは、コンビニ向けのものの他、レストラン向けのも作られている。 「えきペディアさんと同じく、鉄道事業者に対する呼びかけも行っています。電車には優先座席がありますが、障がい者の立場からは、本当ならドアを入ったすぐそばの席がいちばんありがたい。だから、そこを『気配りシート』と呼びましょうと提案しています。エチケットとして障がい者に、その席を譲るよう車内放送などで呼びかけてもらえるといいのですが」 提案は、まず阪急に提出された。今後、他の鉄道事業者にも広く声をかけていくつもりだという。中島さんたちの活動に一貫しているのは、具体策への絞り込みだ。背景にあるのは、バリアフリーが実現された社会を作る意思である。 「言葉とは、その言葉が意味する考え方のシンボルです。だから私たちは、できるだけ早い時期にバリアフリーという言葉を、この世の中からなくしてしまいたい。それが理想なんです」 あらゆる環境からバリアがなくなれば、あえてバリアフリーを意識する必要はなくなる。もとより一朝一夕に成し遂げられるほど簡単な話ではない。また施設などがハード面でのバリアフリー化が進めば、それで完了というわけでもない。 「心のバリアフリーをどう解消していくかも、重要な課題です。そこでポイントとなるのが教育なのです」 欧米のバス停で、車イスの人が待っていたとする。バスが停まった次の瞬間、何が起こるか想像できるだろうか。そうすることが当たり前のように、何人かの乗客がバスから降りてきて、車イスの人をサポートするのだ。 「明らかにマインドの問題ですね。バスの乗客たちはおそらく、意識して、こうした行動をとっているわけではない。車イスの人がいれば手伝うのが、ごく自然な行為だと無意識のうちに反応しているのです。これが教育の成果ではないでしょうか」 障がいのある人と共生・共用する考え方を、早い時期から教育によって根付かせる。一方では、バリアのない環境を整備する。この二つが完成したとき、本当の意味でのバリアフリーな社会ができる。共用品研究会関西がめざす理想の社会である。 |
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